同期や後輩が先に昇進したらそんなに悔しいの?

先輩が言った。同期が先に課長になった時は悔しくて、夜寝ている時に歯ぎしりをしていたと。別の先輩も言っていた。後輩が先に昇進した時は悔しくて、朝のランニング中に涙が止まらなかったと。いずれも男性の先輩。


私にはない感覚。そんなに悔しいなんて、だいぶ窮屈な世界に生きてるんだな・・・と思った。


私は入社4年目から2年半、育児休職を取った。いまだ年功序列の色濃い会社だから、その時点で同期や年の近い後輩より昇進が遅れるのは自明。復職してからは毎日の生活にいっぱいいっぱいで、昇進がどうとか構ってる余裕なんてなかったし、心乱されることもなかった。


3年前までは。


◆◆◆


3年前、管理職試験に落ちた。ちょっとは凹んだけど、落ちたこと自体にダメージを受けたわけではない。心乱されたのはその数か月後。


ある日突然、別の部署の男性課長に、私が管理職試験の時に提出したレポートを読んだと言われた。


(え・・・?なんであなたが読んでいるんですか?)


自分の上司でもない人にまでレポートが出回っていることに少々戸惑う。


レポートには、むかし、腐っていた私を自分の部署に引き取り、時間をかけて前を向かせてくれた元上司のことを書いていた。私も元上司のような管理職になりたいと。当時、自分の力では暗闇から抜け出せなくて、この元上司がいなかったら今の私はない。そのことをかみしめながら、精いっぱい書いたレポートだった。


だけど、その男性課長はあっさり言った。「そういう過去のことではなく未来のことを書くんだよ」と。そして「例えば、僕は・・・」と自分がかつてレポートに書いた内容を話しはじめた。


(エ・・・?アナタニ、ナニガ、ワカルノ?)


思いを込めて書いたレポート。上司でもない人から。こちらが求めたわけでもないのに。突然のアドバイス。どうして私に響こうか・・・!


私のレポートが男性課長の常識からは相当にズレていたのだとは思う。


私は自分の考えを発表するような時、他の人と全然内容が違うことが多い。例えば、ベトナムでの研修の報告会でも、みんなは派遣先の企業で学んだことを発表していたけど、私だけシクロのおじさんにぼったくられた話と働く喜びについて話した。このエピソード。
gear.hatenablog.jp


おそらく今回のレポートも他の人と全然テイストが違ったのだろう。ひと言アドバイスしてあげた方がいいと思ったのだろう。善意なのは分かる。


だけど、私にとっては善意の同調圧力だった。


この時、昇進って、この男性課長のような誰かの価値観に合うか合わないか、でしかないと思った。それが、人が人を評価するということなんだと。私はその人たちの好みに合わせに行くことはないし、永遠に管理職試験に合格することもないと思った。


◆◆◆


だけど、私は2年後に再び管理職試験を受けた。今度は合格。レポートには相変わらず思ったことをそのまんま書いたから、またひとりだけ全然違うテイストだったはず。合格したのは女性管理職3割という会社の目標が効いたんだろう。


もう一度受けたのは、うちの会社では管理職にならない限り、40才以上には新しい成長の機会がなさそうだと思ったから。特に私はずっと同じ役回りだと飽きてしまう。会社人生の一時期、マネジメントという役割を経験する機会があるならやってみようと思った。


合格した時、色んな人がおめでとうと言ってくれた。でも違和感。「君も会社の階段をひとつ登りましたね」的なニュアンスに。管理職は単なる役割だから、偉くもないし、階段も登ってないし、おめでたくもないと思う。いや、先輩にお祝いディナーをごちそうになってしまったけれども。とてもおいしかったけれども。


みんな会社の肩書に意味を見出しすぎじゃないかな。価値観は人それぞれで、評価をする側の価値観にたまたま合えば評価されるし、合わなければ評価されない。それだけのこと。自分の考えを持って、それを自分の言葉で話せることの方がずっと大切。社内での評価なんて、その大切なものを手放すに値しない。・・・というのが私の価値観。