アウトローと呼ばれるまで

「部長の下では働けません」


目の前の部長にそう言って、私は席を立った。自分の膝が震えていたのを覚えている。


カイゼン活動を担う部門に異動して2か月が経っていた。私に大人しくオフィスで仕事をしていて欲しい部長。あちこち動き回りたい私。現場をカイゼンするのに、オフィスにいても仕方がないと思っていた。部長とは考えが合わなかった。


その日を境に、私はオフィスにほとんど行かなくなった。週に1時間、顔を出すくらい。あとは、現場や他の部門、カフェや自宅など、好きなところで仕事をした。自由に動く代わりに、交通費は請求せず、絶対に結果を出す、と決めて。


後輩は「グレてますね」と言い、先輩は「あんまり尖るなよ」と言い、昔の上司は「ま、いいんじゃねーの」と笑った。同期は「上司の指示がないと、やる仕事がなくて困らない?」と心配していたけど、上司の指示なんてなくても、私にはやりたいことが山ほどあった。


◆◆◆


それから一年、必死に仕事をした。この歳で徹夜もたくさんしちゃって、肌年齢はやばいことになっていると思う。


でも、そしたら、真剣に応えてくれた人たちがいた。


この一年で現場のカイゼンの件数はすごく増えて、たくさんの人が活動に参加してくれるようになった。年度の終わりの3月31日には、この結果に対して、現場の課長さんが私を表彰してくれた。Good Job賞。少しは現場の人たちの役に立てたかなって、すごく嬉しかった!


「お前はアウトローだけど信頼できる」


現場のおじさんから最大級の賛辞ももらった。


◆◆◆


この一年、オフィスに行かないことを誰かに何か言われるたびに「登校拒否なんです」と笑って受け流してきた。でも本当は苦しかった。「たった一人だな・・・」って日記に書いた日もある。


そんな時にネットで目にした言葉。ホリエモン。この言葉を読み返しては、前を向かなきゃって自分に言い聞かせてきた。何度も何度も。

「捨てる」痛みは、ゼロにはできない。しかし、痛みを感じないくらい忙しく、やりたいことに熱中していればいい。
出典:R25


甘っちょろい私の小さな小さな世界の話。それでも、アウトローとして歩き続けられたこと、今はちょっとだけ誇りに思う。一年前「ま、いいんじゃねーの」と言った元上司は「アウトローの称号、かっこいいな」とまた笑った。


コロナで世の中も会社も揺れているけど、たぶん私は自分の足で立っていられる。