捨てることがこんなに苦しいなんて知らなかった

私は今、会社の新しい事業を考える部署にいる。


うちの部で、ずっと検討していたひとつの新事業があった。でも、それが既存の事業とかち合ってしまうことが分かって、うちの部の案件は断念せざるを得なくなった。役員同士で話し合った結果。


「捨てることが大事」「縁がなかったんだ」と、私たちに結論を告げる新事業担当の役員。


経営レベルでどこまで議論が尽くされたのかは分からない。ただ悔しかった。目の前に広がっていた大きな可能性がすーっと消えていく、その寂しさは言葉にできないほどだった。自分の席に戻って涙がぽろぽろこぼれた。


この先、会社が成長していくために、どうしても挑戦したい新事業だった。本業の強みを活かしながら、会社を新たな事業へと導いていく。社内の色んな部門を巻き込んで検討していた新事業だった。関わる部門、人数が多く、会社全体での新たな挑戦になる分だけ、その価値は大きく、次の世代に残せるものも多いはずだと信じてた。みんなと一緒に走り続けたかった。


捨てること。


そのことの重みを知った。


痛みを知った。


どんな仕事にも、そこには誇りを持ち、想いを持って取り組んでいる人たちがいる。信じたゴールに向かって、その人たちが歩んだ時間がある。だから、それをやめさせる決断を下す時は、そこに携わる人たちに真正面から向き合う覚悟と誠実さが必要なのだと思う。


◆◆◆


次の日。


まだ気持ちの整理がつかなくて、オフィスに行きたくなくて、会社の1階のカフェでずっと考えてた。考えても結果は変わらないけど、ゆっくり考えたかった。


ここから、私は何を学ぶべきなのかと。


今の部署に異動してきて一年。今まで巡り会うことのなかった人たちにたくさん出会って、新しいものの見方や考え方に触れて、刺激に満ちた毎日だった。


ただ、私は上司や先輩についていくのに必死で、目の前のことをこなすのに精いっぱいだった。私は、立ち止まって考えるということをしてこなかったことに気づいた。考えたことを書きつづるための私の企画ノート。この一年、そのページは、ほとんど進んでいない。


考えるための材料を集めること、自分の頭で考えること、そのための時間を確保すること。


今、改めて、新事業の「戦略」を考えなくてはいけないと思ってる。


知性を磨く― 「スーパージェネラリスト」の時代 (光文社新書)

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どのような戦略にも、そこには「かけがえの無い人生」が懸られている。
そこには、部下や社員の「かけがえの無い人生の時間」が懸けられている。


もし、我々が、そのことを理解するならば「無用な戦いをせずに目的を達する」ということの、本当の大切さが分かるだろう。「戦略」と書いて、「戦い」を「略く(はぶく)」と読むことの真の意味が分かるだろう。

今回のことで、この意味が分かったのだから。