大好きな本屋さんには政治的に中立であって欲しい
■代官山の蔦屋書店
私は代官山の蔦屋書店が好き。そこで色んな本に出会って、私の世界を広げてもらってる。
近くに住んでるわけじゃないから、月に1回しか行けないけど、毎回、お店に入った瞬間に「あー来てよかった!」って思う。本屋さんのにおいかな。雰囲気かな。好きなんだ。
それと、感性が磨かれるような気分になるんだなー。ま、これは大いなる勘違いってヤツだけど。(笑)
■湘南の蔦屋書店
この間、はじめて湘南にある蔦屋書店に行ってみた。
あ〜ここもいい感じ!って、お店の中をフラフラしてたら、蔦屋書店の社長さんの書いた本を見つけた。こんなにステキな本屋さんをつくった人って、どんな人なんだろ?って思って、その本を買おうと手に取った。
で、その本を持ったまま、他にもいい本ないかなー、ってウロウロ。そしたら、ある特設コーナーが目に止まった。
そこには、SEALDsの本とか、子供を戦場に送るな、憲法9条を守れ、っていうトーンの本がまとめておいてあった。
代官山のお店では、こういうコーナーは見たことがなかったから、ちょっとびっくりしながら、これと反対の立場の本もあるかなって探した。
でも、見つけられなかった・・・。
つまり、湘南の蔦屋書店は、ひとつの政治思想を主張してた。単にその手の本が売れるからっていう理由なのかもしれないけど。
ちょっとショックだった。
大好きな蔦屋書店には、中立であって欲しかった。公立の図書館も運営してるTSUTAYAだから、なおさら。
本屋さんは、ひとつの事柄に対して、賛成も反対もどちらの考えにも触れられる場所であって欲しい。両方の立場があるってことを知るってことは、物事を自分の頭で考えるための原点だと思うから。
手に持ってた社長さんの本は棚に戻した。また今度にしよう、って。
■ひとつの側面しか知らないこと
ある事柄のひとつの側面しか見ない、知らないっていうのは健全じゃないと思うんだ。
少し前の私がそうだったんだけど。
私は、昔の日本は侵略戦争をした悪い国だって教わってきた。学校でも家でも。で、かなり長い間、それを信じてた。それ以外の考え方があるなんて思いもしなかった。
■原爆
高校生の時に、フランス人の子に原爆について聞かれたことがある。あれはよかったと思う?悪かったと思う?って。
フランスでは、学校の授業でディスカッションをしたんだって。アメリカが原爆を落としたことの是非について。
私、その質問に答えられなかった。良かったのか、悪かったのか、考えたことがなかったから。
学校では、原爆がいかに悲惨だったか、ということは習った。でも、良かったか、悪かったか、考える余地があるようなものではなく、戦争を終わらせるためにはやむを得なかったって習った。
ちょっとおかしいなって考え始めたのは、それから何年もしてから。
フランスの子が原爆の是非を考えてるのに、日本人である私は、なんで「やむを得なかった」で終わりにしてるんだろ。原爆をやむなしと考えなきゃならないほど、日本は悪い国だったのか、と。
■国歌と国旗
もう一つ。
国旗と国歌の法律ができた時、私の母は、「どんどん昔の日本みたいになってイヤね」と言った。当時は、新聞とかテレビでも反対の声が大きかった気がする。
これも何年もしてから、疑問に思うようになった。
私は、小学生の時、父の仕事の都合で1年間アメリカに住んでた。日本人学校じゃなくて、現地の小学校に通ってたんだけど、そこでは、毎朝、胸に手を当てて、星条旗の方を向いて、みんなで国家への忠誠の言葉を唱和してた。
I pledge allegiance to the flag of the United States of America...
この時のことを思い出して、あれ?って思ったんだ。
アメリカなんて、毎朝みんなで国家に忠誠を誓ってた。日本では、日の丸と君が代を法律に定めるだけのことで、なんであんなに騒ぎになるの?って。
■考え方はひとつじゃない
こんな感じで「あれ?」って思うことが積み重なって、私は、少しずつ本を読むようになった。
それではじめて、教科書に書いてあることや、親やマスコミの言うことが、全てじゃないって知った。
今は、昔の日本が悪い国だったなんて思ってない。
■本は大切な情報源
自分のことは棚に上げて言っちゃうけど、何でも鵜呑みにせずに、自分で調べて、自分の頭で考えることって、とても大事だと思う。
それと・・・
誰にだって信じてることがあると思う。でも、自分の信じてることがいつも正しいとは限らないから、自分と違う立場の人の考えも勉強しないといけないんだろうなって。
でね、本って、そのためのすごく大事な情報源だと思うんだ。
本屋さんには、私たちが考えるための手助けをして欲しい。考える範囲を最初から狭めることをしないで、中立であってほしい。