ベトナム③ ベトナム人学生と祖国

ベトナム人学生


少し戻って、ベトナム研修のお話。気づけばだいぶ時間が経ってしまったけど、自分の記録のため。


私が、3週間派遣されていたのは人材紹介の会社。日本で働きたいベトナム人と、ベトナム人を採用したい日本企業をつなぐ仕事。そこで、日本で働きたいというたくさんのベトナム人学生に出会った。


彼らはみんな目をキラキラさせて「日本で働きたい!」「日本にずっと住みたい!」って言ってた。「なんで日本に行きたいの?」って聞くと「文化が好き」「豊かだから」って。純粋に日本に憧れてるっていうのかな。


もちろん日本人としては嬉しかったけど、日本にずっと住みたい、とまで思う気持ちが、本当はよく分からなかった。「愛する家族は?」「祖国は?」って思ったりした。それから、こうやって優秀な若者がみんな海外に出て行ってしまったらベトナム自体の発展は大丈夫かなとも思ったり。いずれは、ベトナムベトナムの次の世代のために汗をかこうって思う若者が増えたらいいなと。


でも、ちょっと上から目線かな、こうやって思うの。


ホアンさん


そんなことをぼんやり考えていた時、一人の男子学生に出会った。日本企業の面接に合格して、もう日本に行くことが決まっている学生。


ホアンさん、26才。ベトナム中部のクアンチ省というところの出身。クアンチ省ベトナム戦争の時に、国を南北に分けた北緯17度線のちょうど境にある。


彼の故郷は、ベトナム戦争の時にアメリカが撒いた枯葉剤の影響(土壌汚染や何世代にもわたる遺伝疾患)や残ってる爆弾のせいで、戦争前の状態に戻すには200年かかると言われているらしい。当時の爆弾がたくさん残っているから開発も進まず、仕事もないから、若い人は村を出て行くしかないんだって。彼も高校から村の外に出て一人暮らし。


もともとずっと家族と離れて住んでいるから、日本に行くのも全然寂しくないって。


日本に行きたいと思うようになったのは、中学校で近代化に成功した国として日本の明治時維新について習って、すごく感銘を受けたからだって言ってた。ネットで色々自分で調べたり、ベトナム語に翻訳された福沢諭吉の「学問のすゝめ」も読んだみたい。


日本は時間に厳しく、仕事も細かく、技術力も高い、そういう環境に身をおいてチャレンジしたいって、目を輝かせていた。日本の安全で豊かな暮らしに憧れる若者にはたくさん出会ったけど、彼のように近代日本の成り立ちに興味を持ち、日本に行きたいと言ってくれる若者ははじめてだった。


日本のこと


ベトナムの中学校で日本の明治維新について教えてるのにびっくりしたし、「学問のすゝめ」がベトナム語に翻訳されていたなんて思いもしなかった。


日本人としてはすごく誇らしかった!


でも、同時に、私は日本人として、日本の歴史を誇らしく語れるだけの材料を持ちあわせていないことに気づいた。「学問のすゝめ」についても、明治維新についても、ホアンさんよりも熱く語れない・・・とちょっと情けなくなった。


中学校で日本の歴史は習ったけど(高校ではなぜか世界史を選択)、大人になってから、もっともっと勉強しなきゃいけなかったな、と。


学問のすゝめ―人は、学び続けなければならない

学問のすゝめ―人は、学び続けなければならない

書いてあったこと。


人として独立すること、日本人として独立すること。学問に励むのは自分の生活を豊かにするためではなく、社会の発展に尽くすため。そのためにひたすら努力せよ。


◆ ◆ ◆


ベトナムに行って、もっと日本のことを勉強せよと教わった。それから、安心して子供を育てられる国土とか美しい故郷ってあたり前じゃないんだって知った。私は恵まれた環境で生きてきたんだなって。そういう人間はきっともっと頑張らないといけないんだろうなって思う。


ホアンさんは今、日本でエンジニアとしてがんばっている。ある意味、故郷を失っているとも言える彼にとって、チャンスを求めて海外に出ていくというのは当然の選択だったのかもしれない。日本が彼にとって第二の故郷となりますよーに!そう願いつつ、私もがんばらないとな!